2010年07月16日
太陰暦→太陽暦への わ・け・・・・・
「幻と消えた日付」の記事で太陰暦から太陽暦に明治6年から変わったお話をしましたが
その時の顛末がまたとても興味深いですよ
まず、みなさん、先日の記事で江戸時代は月の動きによって作られた暦(太陰暦)で
生活をし、そのために大・小の月があり約3年に一度13か月の年が
あったとお伝えしましたね。
明治4年から6年頃にかけて明治政府は様々な大改革を断行しました。
みなさん、まず、自分が明治5年に生きていると想像してください。
農業中心の生活を送っている皆さんは月の運行に沿った太陰暦で生活しています。
当時は、1年が13か月だったり、大や小の月があったり・・・
だから、みなさんはいろんな計画を立てるために
出来るだけ来年の暦を早く手に入れたい!
明治5年も例年のように10月1日に全国40軒の暦屋から来年の暦が売り出され
みなさんはこぞって買い求めました。
特に明治6年は閏年で13カ月が予想されていたから、売れ行きは素晴らしかった!
ところが!11月9日になると、突如明治政府は「政暦の詔書」いわゆる
「暦を変えるよ~の発表」を出しました!
それは、なんと
「来る明治5年12月3日を明治6年1月1日とする!」と言うものです。
12月3日が正月元旦になるんですよ!
その時の皆さんの驚きは、いかほどでしょうか!?
なぜ、暦を大急ぎで変えたか・・・・・・
①まず、新橋から横浜まで汽車を走らせましたね
ダイヤ編成が江戸の暦では作れなかった・・・そりゃそうだ。
② 次に、それまで日本は1と6の日がお休みだったそうです。
外人を雇って教育を依頼している機関はそれ以外に日曜日も休みにしなければならなかった。
そして、何より、
「一年の日にちが354日だったり384日だったり、12か月だったり13か月だったり・・・
太陽暦なら4年に一度閏年を置けば3千年に一日の誤差しか生じない。
すぐに改暦するよう!」
と外国首脳に言われ、日本の首脳も返す言葉がなかったそうです。
写真の江戸暦は 「旧暦・和のこよみ」から引用させていただきました
文章は「暦の文化史」から出典
指導は余目八幡神社宮司 稲垣次生さまです
Posted by ひろぴ at 17:41│Comments(2)
この記事へのコメント
日本の西洋化にともない太陽暦に変更する必要性が出てきたのですね。
普段何気なく見て、当たり前になっている暦にもこんなに興味深い歴史があったのですね。
これからも、楽しみにしています!
普段何気なく見て、当たり前になっている暦にもこんなに興味深い歴史があったのですね。
これからも、楽しみにしています!
Posted by ムーミン at 2010年07月16日 20:40
コメントありがとうございます
何故急いだか? これもまた面白い話があります
今日のブログでは急ぐ必要はないですよね
ムチャクチャ急いだワケはまた火曜日のブログに載せますね
何故急いだか? これもまた面白い話があります
今日のブログでは急ぐ必要はないですよね
ムチャクチャ急いだワケはまた火曜日のブログに載せますね
Posted by ひろぴ at 2010年07月16日 23:55