QRコード
QRCODE
庄内・村山・新庄・置賜の情報はコチラ!

山形情報ガイド・んだ!ブログ

アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 63人
プロフィール
ひろぴ
ひろぴ
「おくりびと」に感動していきなり訪れた庄内。庄内の美しさ、庄内人の気高さに魅せられて1年4カ月で20回庄内を旅し、ついに2010年3月庄内に移住。観光協会専門員~ホテル営業室長~大学助教を経て私立高校長になったドラマのような10年間を過ごし、2020年4月に移住生活を卒業した。遠く離れた千葉でも山形・庄内の豊かさに魅せられ、勝手に庄内観光大使活動を繰り広げている。

2011年03月29日

庄内町の支援 


悲惨な地震から18日

ガソリンも少しずつ出始め、庄内地方は落ち着きを取り戻してきました

しかし、今回の地震・津波・原発事故はまだまだ各地で被害を広げて

います

庄内町の支援 







こちら庄内町では、毎日の支援物資の運搬から2回「つゆ餅炊き出し」を

させて頂きましたが、刻々と変わる状況に町長はじめ

副町長や教育長、各課長の上層部が最適に迅速に対応しようと

日々尽力しております


リーダーの判断に職員一丸となって南三陸町の方のために

出来ることに取り組んでicon21いる日々ですが



ここ数日は

南三陸町町長の依頼を受け、仮設住宅ができるまでの数か月

少しでも快適な生活ができるようにと避難された方を

受け入れる準備として

北月山荘、自然ふれあい館森森はじめ

庄内町の支援 

公民館などの受け入れ準備が着々と進んでいます

今日も町長は南三陸町に今後の支援の在り方を

話すために出かけています

庄内町の支援 
(月山の遠方に臨む)

また、町民の方からは「離れが空いているから使ってほしい」

「空き家を持っているから、使ってもらえたら・・」

続々とあったかい声を届けていただいています


庄内町の支援 




「親戚を迎える気持ちで対応してほしい」

町長の言葉が課長から課員に伝えられ


昨日会議で副町長から直接説明を受ける機会があったのですが

その時に

「南三陸の方を、なんとかお救いしたい」と言って下さって

町長・副町長のこんな温かい言葉を

聞けて、とても嬉しくなりました


庄内町民の方へのお願いとして

「毛布はあるけれども、布団や冬から春の衣類など

をご協力いただきたい」と


また

家庭単位の生活を取り戻して頂けるよう、最善の

準備をしたい」と


心ある方をリーダーに持つ庄内町kao1

とても嬉しくなると共に、ここで働けることに

ますます喜びと誇りを持たせて頂ける日々です






地震による灯油不足でクローズしておりました北月山荘ですが

避難民の方の受け入れも始まると共に

一般のお客様に、お風呂と食事の提供はさせて頂こうと

4月オープンに向けて、スタッフ全員頑張っています


庄内町の支援 

また、あのとっても美味しい料理が食べられると思うと

しみじみ普通の生活の有難さを痛感します

庄内町の支援 






Posted by ひろぴ at 12:42│Comments(8)
この記事へのコメント
今、石巻の知り合いに救援物資運んだ帰り
あ.ら.伊達の道の駅で、町長の乗った車と隣りになったよ
Posted by 仏壇屋のおばちゃん♪ at 2011年03月29日 15:12
昨年の夏あたりに、日本海トラベルさんのブログで「民泊」ということを目にしました。
ホームステイと同じようなものかと思います。
これは宮城県の高校生を受け入れるというものでしたが、なかなか受け入れ体制が整わずに苦労されているようでした。

今回の震災でも、大変の状況がわかってくるに連れて私の頭の中にはこの「民泊」のことが浮かび上がってきました。
仕事柄新潟県のラジオを耳にすることが多いのですが、新潟県の小千谷(おぢや)市では、中越地震の時にみんなにお世話になったと言うことで早くから民泊での受け入れを行っていたようです。
福島県に向けた水の送付なども行ったそうです。

軽々に民泊ということを口にすることもできないかとは思いますが、例えば家族単位、あるいは集落単位でしようしていない施設、たたんだ旅館などで受け入れることができたら、(避難してくる側、受け入れる側の気持ちのことをとりあえず考えないで)生活するための物資が足りないだとか、プライバシーが守られないだとか、様々なことが一気に(一時的に)解決すると思います。

自炊生活を送る湯治場のイメージで、かかる費用は(国が払うのだとしても基本姿勢としては)受け入れ側の住民の好意、行政の負担などでまかない、極力自活で生活をしてもらう。

そうすることで、例えば5人家族で6畳一間だとしても、最低限の気の許せる単位での生活にはなるわけだし、現状ではほぼ100%他人に頼るだけのものが、少しは「申し訳なさ」のような気持ちが緩和できるようになると思う。
そして、例えば小さなお子さんがいたりしても、周りを気にして我慢したり、大人が気遣うあまりに気疲れしたりと言うことも少なくなるのではないかと思う。

また、「自活」に近い生活をしてもらうことによって、受け入れ側も割合楽に受け入れることができると思う。

例えば一般家庭で一度被災者を受け入れた後、大恩ある方が避難させてくれと頼みに来たとしたらどうするか。

先に受け入れた被災者に対して「悪いけど出ていってくれ」とは言えないと思う。
こういった互いの「心の中の我慢」を必要とする状況を極力作らないで済むような受け入れ態勢でないと結果的に避難してきた方を傷つけ、受け入れた側も申し訳なさで精神的な痛手を被ることになると思う。


それと、こういう事を言うのは心苦しいが、語弊を覚悟で言えば若者や中年などの健康な人は「どうせ何もかも失ってしまったのだから、今は復興の手伝いをするしかない」と割り切って地元のために様々な活動をしてもらう。
社会的弱者であるお年寄り達は、「地元を離れるのは寂しいけれど、私たちが別の場所に移ることでみんなの負担も減り、復興も進むのであれば、受け入れてくれるところに行くよ」という割り切り、あきらめは必要だと思う。

人間としての心情はわかるけれど、もちろん当事者ではないから100%わかってはあげられないと思うけれども、私が当事者だったらそうすると思う。
今の年齢だったら地元でできることは一生懸命やるし、例えば自分が年寄りだったら、若者に迷惑をかけないように別の場所で頑張ると思う。

我慢とがんばりとストレスと心の解放とわがまま。
こういったことはそれぞれが互いを思いやらないとできないことで、そして同時に互いに少しずつ我慢もし合う事が大事だと思う。

私の家でも、「もしそういう依頼が来たら受け入れるか?」という事を話し合っている。
まずはここからだと思う。

最初から線引きを提示し、家族のように地域ぐるみで引き受ける。
私の近くでも空き家は多い。
自治体はそう言うことをどうしたら活用できるか、せめて窓口になるべきかと思う。



いずれにしてもまずは「受け入れる側」の心の準備と話し合いが必要ではないだろうか。
家族で話し合うことが大事だよね。
Posted by ひろし at 2011年03月29日 15:15
仏壇屋のおばちゃん様

今日も石巻ですか?お疲れ様です

でも今日は天気が良くてよかった

我が町長は、頑張ってくれてますよ~

あら・伊達は少しは野菜入ってましたか?
Posted by ひろぴひろぴ at 2011年03月29日 15:23
ひろし様

確かにその通りですね

でも、実際に行ってみると、なんとも言えないんです

物事って、勉強ってわかればわかるほど、もっとわかないってことが分かる・・みたいな所ってありますよね

実際に現地に行ってみると
すっごく不自由で、手も洗えない、歯も磨けない、隣が知らない人、そこで寝泊まり
なにもすることが無く
風呂も入れず
恐怖と寒さと空腹とむなしさと絶望と

そんな状況だろうと思います

確かに弱者は一旦、どこかに離れた方が良いかと思いますが、
高齢者ほど、きっと自分の生まれた土地を離れたくないだろうと

まだ行方不明者がいたら、私だったら離れないと思います

新しいところに行って何かをしようと言う意欲すらないだろうと

きっと、子供を持ち、学校に行かせなければならない・・そういう人は、子供のために生きるし山形まで来るだろうと思います

民泊は全く今現在私たちが取り組んでいる仕事ですが

避難民の方は民泊が嬉しいのか?

私だったらどうだろう?
気を使うなと思います

人の家に泊めてもらう
みじめだな~と
申し訳ないな~と思うだろうと思います

人と付き合うのって、元気でないとできないことなんですよ


我が家も、娘が『部屋が空いているから、ぜひ来てもらおう」と言いますが

でも、実際、私たちの普通の言動が避難民の方を傷つけるかもしれないと私は思います

ですから、庄内町では北月山荘でも一部屋一家族、を大事にして

副町長のいうように「家庭単位の生活」を一日も早く出来るようにお手伝いできればと
そう思っています
Posted by ひろぴひろぴ at 2011年03月29日 15:36
庄内町の取り組みは,より被災地の方々に寄り添っていて大変すばらしいと思います。

文中にありました物資を他の市町から受け付ける予定はないのでしょうか。予定があれば,もちろん仕分けをした上で参加したいと考えています。
Posted by sora at 2011年03月29日 17:14
SORA様
ありがとうございます

支援物質は 基本的に ボランティアで持ってきて頂けること

あまりに大量でないと有り難いようです

町も補正予算を組んで、遣り繰りしていて、配送料まではお支払いできないし
あまりに大量だと トラックを増やし 貴重なガソリンも手配しなければならないからなんです

お気持ちありがとうございます
Posted by ひろぴ at 2011年03月29日 22:33
ひろぴ様

ご無沙汰しております。
宮城にて動いた約1週間、その生活は衝撃的でありました。それは、自分が生きてきた人生に再考させ得るに、十分な状況でした。

それ故、コメントをすることが出来ませんでした。
報道されていない事実、いろいろあります。皆さんに伝えるべき写真を撮ることが出来ずにいた自分。マスコミでないから、それでいいのだと納得させていた自分。
海外のメディアが、事実を淡々と撮影していたから、それでいいんだと納得させていた自分。
そうしていた時に、福島ではとんでもない事が起きていたんですね。
もしかしたら、福島が、1/3になるかもしれないなんて…。

3/29のもので、一日遅れましたが、我師、河合先生の
原発に関する説明がわかりやすかったので引用させていただきました。
以下コピーです。長いですが、参考に、と思いまして。


返す返す今回の原発人災を思うたびに、悔しさが込み上げてきます。


生きるということの原点を忘れて、生存するための安全を当たり前のことと侮って、経済の持続可能な成長などあるはずがないということを、私たちはこの福島原発事故から、腹の底から学ばなければならないのだと思います。

それにしても事ここに至って、何故大半の日本国民はこうも悠長でいられるのかと、暗たんたる気持ちになります。

「チャイナ・シンドローム」という映画があります。

この映画の作中では、アメリカでの炉心溶融が連続して起きて、原子炉や地殻を溶かして、地球の反対側の中国まで溶かす「チャイナ・シンドローム」が発生するという表現がジョークとして用いられました。

それ以来炉心溶融(メルトダウン)のことを、チャイナ・シンドロームと呼ぶことがあります。

私たちは福島第一原発1号機について、きちんと理解しておかなくてはいけないことがあります。

まずこの原発は1971年に運転を開始して、今年40年を迎えるというのに、東電は何の根拠もなくあと20年は使えると主張して、それをそのまま原子力安全・保安院が丸のみで認めたということです。

さらに昨年の10月、営業運転開始から34年が経過した老朽化原発・福島第一原発3号機で、プルトニウム燃料を使った危険なプルサーマル営業運転に入っていました。

アメリカでは、40年を越えた原発や、設計者がいなくなった原発は、廃炉とすることが定められています。

これが原発の世界基準と言えるにも関わらず、東電は元より、原子力安全・保安院は、60年運転を認めていたのです。

さらに福島第一原発は、設計用限界地震が日本の原発で最も低い270ガルで建設された、最も耐震性のない原発でした。

そこで今、メルトダウンが起きている可能性があるのです。

電気出力100万kWの原子炉では、熱出力がその3倍の330万kWにもなり、それが自動停止しても、その後に核分裂生成物が出し続ける崩壊熱は、1日後には1万5560kWもあるのだそうです。

さらに、その発熱量がどれだけ小さくなっても、それは永遠に熱を出し続けるので、燃料棒が原子炉にある限り、それを除去し続けなければなりません。何故ならば、原子炉という密閉された容器内では、逃げ場のない熱がどんどんたまっていくからです。

燃料棒を除去出来なければ、閉じ込められた熱で水が沸騰して蒸発し、燃料棒がむき出しになります。そうなれば、極めて危険な放射性物質が溶け出して、燃料棒の集合体が溶け落ちることになります。

それが炉心溶融であり、メルトダウンと呼ばれる現象です。

燃料棒の集合体が次々に溶け落ちると、それらが炉の底にたまってますます高温になり、灼熱状態となります。

やがて原子炉容器の鋼鉄を溶かして、圧力容器の底が抜ければ、全ての放射性物質が外に出ていくことになります。

これが、チャイナ・シンドロームです。

さらに恐ろしいのは、燃料棒被覆管のジルコニウムが水と反応して酸化されると、水素ガスを発生します。水素ガスの爆発限界の最小値は4.2%で、この濃度に達すれば必ず爆発するということです。

メルトダウンは燃料棒の過熱温度が2800℃で起こるから今は大丈夫だと、NHKをはじめとする報道番組で件(くだん)の偉い大先生方が口を揃えて福島原発の安全性を言いますが、スリーマイル島原発事故などの解析によって、実際には600℃でメルトダウンが起きることが明らかになりました。

これは、当のNHKが2009年7月に、フランスのドキュメント「核の警鐘-問われる原発の安全性」で、自らが放映したことです。

27日、福島原発の格納容器から汚染水が流れ出し、そのなかに10万倍の放射性物質が含まれていると、東電からの発表がありました。

しかし、この10万倍という数字は、発表当初は1000万倍とされた数字で、その後の会見で訂正されたものです。

これについて、国の原子力安全委員会は、「1号機や3号機に比べて数十倍の濃度であり、一時、溶けた核燃料から放射性物質が漏れて格納容器の水に含まれ、何らかの経路で、直接、流出してきたと推定される」と、人ごとのような見解を示しています。

「溶けた核燃料」。

これがメルトダウンでなくして、一体何だというのでしょうか。

世界中の良識ある人々は、日本政府の対応に不信感を抱いています。

その理由は2つです。

第一に、事故発生から2週間以上経っているのに、事態は一向によく進展しない。第二に、情報がひどく遅く、そしてその量が少なく、信憑性に疑問符が付くことです。

彼らの情報発信は、津波が来たあとに津波警報を出しているようなものです。

今、福島第1原発は、現地の最前線で文字通り命懸けで事故の鎮圧に当たってくれている人たちによって、何とか小康状態を保っているやに思われがちです。

しかし、その実態は違います。

「1号炉が溶融し圧力容器の底が抜けて、核燃料が地下水から海水に浸透している」との告発が、フランス人ジャーナリストによって為されています。

これが事実であれば、1号機はメルトダウンを起こしているということであり、今後、海や内陸部ともに、福島内陸部周辺のかなりの地域にまで重大な放射能汚染が広がる可能性があります。

それが何十キロまでなのか、それ以上何キロの範囲にまで及ぶのか見当もつきませんが、少なくとも政府や安全委がいう「30キロ圏内」レベルで納まるようなものではないと思います。

この未曾有の原発事故が、命懸けで現場で働く方々のお陰で小康状態を保っていることで、この数日なんとなく皆が安堵している空気を感じますが、私はどうしても今の状態を楽観的に見ることが出来ません。

今は台風の目に入っているだけで、今後さらなる放射能汚染という暴風雨が襲ってくる気がしてならないからです。

現場で働く決死の方々は、かなり高い確立で被爆していることは自明であり、今後かなりの確率で重篤な健康被害に見舞われかも知れません。

それを覚悟で、事故現場の最前線でからだを張って国を護ってくれている姿に、深く深く心からの敬意を表したく思います。

しかし、彼らのことを美談だけで語る風潮をつくってはいけません。

再度、暴風雨が来る前に、原発周辺や福島内陸部にお住まいのお一人お一人が、政府や安全委の待避基準に囚われることなく、ご自身の判断で行動しなくてはなりません。

彼らの命を駆けた活動に真に報いるためにも、彼らが作ってくれているこの小康状態という時間を、決して無為に使ってはならないのです。
Posted by ひろぴょん at 2011年03月30日 22:58
ひろぴょん様

地震 津波 原発事故 … この一連の悲惨な状況に、
現況を受け止める事がなかなか出来ず

また
原発事故に関しては
一向に改善されない状況に…
全く理由わからない説明に…

自分の中で 判断する事が出来ずにいました

ひろぴょん様のコメントのおかげで
何だか スッキリしました

ここ最近 なんか 変だ? なんか 落ち着かない…と感じる人がいます

原発は あれは 人災ですよね

誰が計画し
誰がスイッチを押したか?

諸説紛々ありますが

それも大事ですが
河合先生のおっしゃるように 大変な状況を知り 行動する事が大事なのでしょう

真に正しい事
これからの進む方向を
知らねばならないですね

ひろぴょん様 今回は 勇気と行動を ありがとうございます

また いろいろ教えて下さい
Posted by ひろぴ at 2011年03月31日 00:24
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。