2013年08月31日
時間を考える
よく「時間だけは誰にでも平等に天は与えてくれている」
そんな言葉を耳にしますが
私は、そうは思っていません
私にとっての時間とは
生きている時間・・・寿命を意味します
人がどれだけ人として生きていられるか
それが時間だと思っています
だから、寿命という時間ほど、
不平等に与えられているものはないと
講演会でも、「明日死ぬかも・・と思って毎日を生きています」と
言います
誰も明日も明後日も3年後も生きているなんて
そんな保証はないのですからね
だから、一日一日が愛おしく
だから精一杯生きようと思っています
10歳になるまでは
アニメの主人公と自分とが同じような世界に生きていた気がします
10代の日々は、自分以外の人との距離感を模索することにヘトヘトになり
20代は思い描いていた未来と現実のギャップに慄き
途方に暮れていた・・・・
30代では、選択を誤り自分を偽ることによってのみ生きながらえていた
砂を噛むような時間がただただ無機質に流れていくことに耐え
40代でようやく自分を生きようと決意し今に至っています
人生も半分を過ぎた頃
ようやく生きていくことが心強く頼もしく楽しくなってきて
これからあと何年心技体が充実して生きられるだろうと
思えば20代の頃からいつも考えていたなと
庄内に住むと四季がその美しい姿で時の移ろいを伝えてくれて
はっきりとした空気の変化が
太陽の光のトーンの変化が
私に否応なく時の経過を知らしめてくれます
そのせいか、1年という時間の経過が早い気がして
移ろう時が愛おしくてなりません
夏の匂いが秋に変わり始めたここ数日
水分を含んだ、しかし爽やかな風が肌を撫でるとき
もうすぐ、冬支度が始まることを私の細胞に教えてくれます
冬になると、また新しい年がくる
大体、暦や時間は共通認識を持つために
人間が考え出した一つの方法に過ぎないと
私は時々、この素晴らしく便利な暦・時間という
人間の発明に適わないな~と
打ちのめされた気分になる時があります
時間と言う発明が無ければ
どんなに自由に生きれただろうと
人は泣いたり笑ったり怒ったり
悩んだり苦しんだり喜んだり。。。。
でも、それは時という風景の中の一瞬のショットでしかなく
誰が泣こうと騒ごうと
時は着実に過ぎていく
誰が感動しようと
時は相も変わらず過ぎていく
もし命が絶える時が来たら
もし人の魂は昇天するのであれば
庄内のこの広い大空に上がって
あの茜色の大空に溶けてしまいたいと
そんな風に思います
そんな言葉を耳にしますが
私は、そうは思っていません
私にとっての時間とは
生きている時間・・・寿命を意味します
人がどれだけ人として生きていられるか
それが時間だと思っています
だから、寿命という時間ほど、
不平等に与えられているものはないと
講演会でも、「明日死ぬかも・・と思って毎日を生きています」と
言います
誰も明日も明後日も3年後も生きているなんて
そんな保証はないのですからね
だから、一日一日が愛おしく
だから精一杯生きようと思っています
10歳になるまでは
アニメの主人公と自分とが同じような世界に生きていた気がします
10代の日々は、自分以外の人との距離感を模索することにヘトヘトになり
20代は思い描いていた未来と現実のギャップに慄き
途方に暮れていた・・・・
30代では、選択を誤り自分を偽ることによってのみ生きながらえていた
砂を噛むような時間がただただ無機質に流れていくことに耐え
40代でようやく自分を生きようと決意し今に至っています
人生も半分を過ぎた頃
ようやく生きていくことが心強く頼もしく楽しくなってきて
これからあと何年心技体が充実して生きられるだろうと
思えば20代の頃からいつも考えていたなと
庄内に住むと四季がその美しい姿で時の移ろいを伝えてくれて
はっきりとした空気の変化が
太陽の光のトーンの変化が
私に否応なく時の経過を知らしめてくれます
そのせいか、1年という時間の経過が早い気がして
移ろう時が愛おしくてなりません
夏の匂いが秋に変わり始めたここ数日
水分を含んだ、しかし爽やかな風が肌を撫でるとき
もうすぐ、冬支度が始まることを私の細胞に教えてくれます
冬になると、また新しい年がくる
大体、暦や時間は共通認識を持つために
人間が考え出した一つの方法に過ぎないと
私は時々、この素晴らしく便利な暦・時間という
人間の発明に適わないな~と
打ちのめされた気分になる時があります
時間と言う発明が無ければ
どんなに自由に生きれただろうと
人は泣いたり笑ったり怒ったり
悩んだり苦しんだり喜んだり。。。。
でも、それは時という風景の中の一瞬のショットでしかなく
誰が泣こうと騒ごうと
時は着実に過ぎていく
誰が感動しようと
時は相も変わらず過ぎていく
もし命が絶える時が来たら
もし人の魂は昇天するのであれば
庄内のこの広い大空に上がって
あの茜色の大空に溶けてしまいたいと
そんな風に思います
Posted by ひろぴ at 08:00│Comments(2)
この記事へのコメント
詩は、夏の終わりか秋の訪れに始まったに違いないとの感慨を彷彿とさせる文章に出会いました。
時が誰かの発明と、時がなければどれほど自由に生きられたかとのラジカルな表現には非凡な文章家の才能を感じます。
なにはともあれ、孔子にして四十で不惑。40代が充実しているなら理想の道程です。命に限りがあることを忘れないことにも同感です。ですから、茜色の大空に溶け込むまでは、這いつくばっても生き抜くことが大切であると私は思います。
時が誰かの発明と、時がなければどれほど自由に生きられたかとのラジカルな表現には非凡な文章家の才能を感じます。
なにはともあれ、孔子にして四十で不惑。40代が充実しているなら理想の道程です。命に限りがあることを忘れないことにも同感です。ですから、茜色の大空に溶け込むまでは、這いつくばっても生き抜くことが大切であると私は思います。
Posted by 応援団 at 2013年09月01日 14:32
応援団さま
初コメントありがとうございます
また、応援団というお名前、もし、私の応援団であるならば、嬉しいなぁと思いました
ブログって、観光協会の頃は、観光PRのためだと思い、そのように書いていました
たまに、思索めいたことを書くと
厳しいコメントがくることもあり
戸惑いながら書く時期もありましたが
私の思いを発露する
全く個人的な表現の場だと、ようやく最近思えるようになり
徒然を綴っています
これからも、宜しくお願いします
初コメントありがとうございます
また、応援団というお名前、もし、私の応援団であるならば、嬉しいなぁと思いました
ブログって、観光協会の頃は、観光PRのためだと思い、そのように書いていました
たまに、思索めいたことを書くと
厳しいコメントがくることもあり
戸惑いながら書く時期もありましたが
私の思いを発露する
全く個人的な表現の場だと、ようやく最近思えるようになり
徒然を綴っています
これからも、宜しくお願いします
Posted by ひろぴ at 2013年09月01日 23:08