2015年11月26日

言語について ①



最近、というかずっと言語について考えています。





元々、言語があるから概念が生まれると私は考えています。

たとえば、単純に言えば、病名があるから病気があると。


英語では肩こりという言葉はなくて、backacheと呼ぶと知ったとき

そう思いました。

ブラジルにいた時に、ブラジル人に虫の名前を聞いたら

全部bichoでした。極端な話、ゴキブリもカブトムシも同じ呼び方。

それは、虫に対する概念が異なることを示している。

(どちらが優位という論点ではありません)



日本という国は、有史以来ずっと同じ言語が継続されているということの

凄さを知りました。


帝国主義時代、列強国が統治する際に支配地の言語を変えてしまえば、

それまでに脈々と書き記されてきた歴史の書物を

読めなくなってしまう。



それは、一国の歴史を断絶してしまう、いわゆるアイデンティーの

簡単な略奪。


日本は今でも源氏や枕草子、古事記や日本書紀を読むことができるということ。

多少の修正はあるかもしれませんが、それはすごい事なのだと改めて知りました。



言語について ①




言語の話に戻りますが、

頭がいいって、どういうことだろうって考えていました。



ずっと考えていて、やはり 「モノを知っている」とか「判断力がある」とか

「回転が速い」とか「理解力がある」とか、いろいろありますが


究極私は、語彙力を持っていることが重要な要素なのではないかと思っています。


人はことばで思考し、ことばで概念を作り、ことばで形にし、ことばで実現します。




ことばとは不思議なもので、実体として存在しないものまでも表現し

まるでモノでもあるかのように具現化することができます。



たとえば、愛とか、真心とか、苦悩とか、悲しみとか


実体のない、モノではない概念を表すことばを多く持つこと

そのことがとても重要だと思います。


英語を習うことや使いこなすことと

母語を身につけることは、私は違う次元のテーマだと考えています。



言語について ①



「言わなくてもわかる」という日本の文化

「相手の言わんとするところを見抜く、含意を察知する」

それを高コンテクスト文化といいます。

(今回の日本語教師の勉強で学びました)。



でも、自分が何を考えているかという事を思考するには

自分と対峙するための「ことば」を持たねばなりません。


最近の子供たちが発する「ビミョー」「っていうか~」という現象を

日本語教育の世界では「ことばのゆれ」として変化するものだと捉えるのだそうですが


私は、語彙が極端に少ないということは自分自身のあり方を処すことが困難になるので

好ましくないことだと思うのです。

自分は誰で、何をしたくて、何を悩んで、何を求めているか、

それを自己と対面し語り合うためにも多くの語彙を知ることが必要だと思っています。

語彙がないと単純なことばしか持ちません。

単純なことばしかないと、単純な思考しか生まれません。

単純な思考からは単純な行動しか起こりません。



最近はテレビを見る機会が以前にもまして少なくなりました。

聞きたくない言葉が飛び交っていて、思考が単純化されすぎている気がして

嫌になることがままあるからです。


もっと本を読んで語彙を増やしたい。

自分の語彙力の乏しさtに嘆息することがよくあります。



学生にも、語彙をたくさん持てるよう、自分の言葉を持てるような若者に

育てたいと思います。


が頭がいいとは何か?何のために勉強するのか?という問いへの

答えは、今のところ、、、、、「豊かな語彙を持つこと」

そして、その語彙で思考を組み立てることができること。だと

私は思っています。










 
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